「満願成就の果てに——米澤穂信『満願』を読んで」
願いが満たされること。
神仏への祈願が成就すること。
「満願」には、そんな意味がある。
短編集『満願』の表題作となるこの一篇では、
「願いを叶える」という行為そのものが、
単なる幸福ではなく、時に歪み、狂気すら孕むことを思い知らされる。
触りの一節をご紹介いたします。
…… …… …… …… …… …… …… …… ……
人を殺めた女は、静かに刑に服した。
控訴もせず、ただ「もういいんです」と告げて——。
…… …… …… …… …… …… …… …… ……
彼女が本当に望んでいた「満願」とは何だったのか?
多くの人は、何かを得るために努力し、時に犠牲を払い、
それでも報われるとは限らない。
願いが叶わなかった者と、叶えてしまった者——
その先にあるものは、果たして幸福なのか、それとも……?
K&M不動産のオフィスにも鎮座する『達磨』のように、
商売繁盛、合格祈願、恋愛成就——
人はさまざまな願いを託し、祈り続ける。
しかし、この作品を読めば、
「願いを叶えること」が本当に幸せなのか、
ふと立ち止まって考えたくなるかもしれない。
あなたの「満願」は、どこに向かっているだろうか?