米澤穂信『愚者のエンドロール』を読んでみた。
――米澤穂信『愚者のエンドロール』感想
『氷菓』に続く〈古典部〉シリーズ第2作『愚者のエンドロール』。
以前にアニメで見たときから、あの文化祭の殺人ミステリーは印象深かったけれど、
今回あらためて原作で読んでみて、やっぱり「雰囲気」がまるで違うと感じました。
文章でしか味わえない、静かでひんやりした温度感。
アニメでは映像のテンポ感やキャラの動きでストーリーを楽しめたけれど、
原作はもっと淡々としていて、どこか距離のある冷たさや思索の重みがじんわりと伝わってくる。
とくに「愚者」とは誰なのか、そのタイトルに込められた意味が、最後の方で胸にじわっと染みてくる感覚は、文字だからこそ味わえるものだったと思います。
折木奉太郎の“推理”はあくまで仮説。だからこそ美しい。
あの映画に隠された「真相」は、実は確定されたものではない。
そこが『愚者のエンドロール』の面白さでもあり、切なさでもある。
「合理的に考えて導き出された可能性」が、人の心にどう響くか――
そんな問いかけに、読後ずっと考えさせられました。
もちろん、アニメ版も素晴らしかった。音楽の選び方やテンポ、古典部の面々の表情もすごく丁寧で、
あれはあれで「完成された別の作品」だと思います。
でも原作を読んで初めて、「折木奉太郎」という人間の内面の静かな流れや、千反田えるの“強さと危うさ”、里志と摩耶花の複雑な関係性に、より深く触れられた気がしました。